たなどらの脳みそ

考察・小説を上げてる素人。

性/さが

私は、親の悪いところを引き継いだのだろうと思う。

寂しがりなところは父親譲り、

一人で何でも背負ってしまうのが母親譲り。

そうして産まれたのが 可哀そうな私である。

 

幼少期、貧しい私の家庭は共働きで貯金するために

私は母方のおばぁちゃん家に育てらることになった。

母親は外国人のため私は必然的に外国で一時期暮らす事となった。

3歳から6歳、おばぁちゃんと従妹たちと一緒に過ごした。

 

小学生、義務教育で日本へ帰国。

母と父、やっと三人の家族で暮らしが始まった。

でも私にとったら人生を狂わせるスタートとなった。

 

小学校。

入学したはいいものの、帰国と同時に入学。

ここでぶつかったのが言語の壁だ。

おばあちゃん家で日本語の勉強などしていなかったのだ。

周りからは友達つくりで話かけられたりされたが、

私は致命的に話す事が出来ず無口になった。

学校では変に特別待遇を避けるため公にはしておらず、

先生につき添ってもらいながら何とかやりくりしていた。

そんな光景が周りは気味悪がったのだろう。

小学校時代、私はいじめにあう。

 

中学校、部活に入り何とか友達もでき普通に過ごすくらいはできるようになった。

しかし、

カーストが当時出来上がっており上位の女に目をつけられた。

その子が私の友達でもあった。

私が何やら気に食わない発言をしたらしく、

カースト上位女をイラつかせてしまった。

昨日までは友達だと思っていた皆の目が、他人に向ける目に変わり、

話しかけても私はまるで存在していないかのようにされ、

私がいるだけで周りの人間がイライラする。

私はまるで醜いモンスター。

中学校時代、完全に人間不信。

 

高校何もかも嫌になり、投げやりに高校生活を過ごし感情を消した。

人に感情移入し、また裏切られるのは勘弁だった。

高校生の良い所は周りがそこまで人に執着しないところだ。

高校生、進路、将来、人生。

高校時代は一番の分岐点だと思う。

だが悲しきかな人生、

私には好きなこと、やりたい仕事、将来の夢などなに一つなかった。

安パイな道として、先生、家族に促されるように就職の道へと進んだ。

高校時代、自己欠如。

 

社会人。

私は事務員として働くことになった。

先輩に指導されながら何とか貢献しよう、その一心で真面目にやってきた。

2年目、人間気の緩みが出てしまう性がある。

私は会社でミスをしてしまった。

そのミスのせいで先輩社員が、

上と提携先のお客様にこっぴどく怒られてしまったらしい。

次の日、私はその先輩社員に呼ばれ小さな部屋で怒られた。

自分では誠心誠意込めて謝っても、

先輩に尻ぬぐいをさせてしまった、

先輩が私の変わりにこっぴどく怒られてしまった、

先輩自身に起きてしまった事を私が反省したところで

状況が改善することなんかなく、

先輩も私に伝え、本人の謝罪を聞いても許すことはなかった。

先輩は勤続が一番長い人であった。

故に職場での立ち位置は優位であった。

先輩の感情が入り混じりつつ私のミスの件について、

社員に知れ渡ると、皆の私への見る目が変わった。

あの時と同じ目だ。

悲しいことに事務は女ばかりであるため、

感情が剥き出しやすい。

先輩社員は直接やれとは言わずとも、雰囲気を醸し出せば

周りも従順する。

この日を境に私はパワハラにあうようになった。

社会人でも、いくつになっても

所詮人は人だなと思う。

苦痛の日々を2カ月、限界を超え精神はすり減る。

職場で過呼吸を起こした。

ゆくゆく検査すると軽度の鬱病と判断された。

もうダメだ、そう思いその会社に退職届を提出し

有給消化と共にその会社とはおさらばした。

社会人、夢も希望もなし。

 

誰にも相談できなかった。

プライドが邪魔をして。

これはきっと一人で背負いこんでしまう母親譲りだ。

酒とたばこと過食に頼るようになりました。

寂しさを埋めたくて。

これはきっと寂しがり屋の父親譲りだ。

落ちぶれた。

あの頃の自分とはめっきり違う。

まるで変わり果てた自分。

堕落。

何処で人生を間違えたというのでしょうか。

誰のせいでもなくこれは全て私が悪いのでしょうか。

私はどうして産まれてきてしまったのでしょうか。

私はただ自分の人生を歩みたい、ただ一人の人間だというのに。

これも全て人間の、いいえ、私の性なのでしょうか。

 

 

『ピーター・パン』2003実写

~感想と個人記録用~

~乱文・語彙力注意~

 

【あらすじ】 ※引用

小説家を夢みる少女ウェンディーは未だに本当の恋も知らない13歳の少女。

周囲の大人たちはそろそろレディになるための教育を始める頃合だと感じていた。

いよいよ明日からのレディ教育を前に、子供として過ごす最後の夜。

彼女の前に不思議な少年ピータ・パンと小さな妖精ティンカー・ベルが。

ピーターはウェンディーが夜ごと弟達に語るお話を聞きに、

何度も彼女達の部屋を訪れていたピーター。

すぐに打ち解けた彼らは、海賊と妖精が住み、永遠に子供でいられる島

"ネバーランド”へ向けて一緒に飛び立つ。

 

【物語要約】

ウェンディーの大人になるという葛藤と成長を描いた物語

 

愛の象徴:ウェンディー

ピーターに恋をし愛という感情に目覚める

ネバーランドで楽しむ中、本当の親を忘れつつあり二度と現実に戻れないと考えた

→成長し大人になるのを受け入れるウェンディー

 それほど家族は大切な存在(家族愛)

 

永遠の少年:ピーターパン 今まで悲しいこと愛を知らない子供心を持つ。

大人になるのは野蛮なことだと考える。

→学校へ行き、働く人生が考えられないでいるから。

ピーターの願いは永遠に子供で楽しく生きていく事。(不完全なただの子供。)

 

 

嫉妬の象徴:ティンカーベル

ピーターと友達でいつもぴったりのティンク。

ピーターを取られるのが嫌でついウェンディーにいたずらしてしまうのは嫉妬の証。

 

怒りの象徴:フック船長 

フック船長はピーターに右腕を斬られた事に怒り、いつか殺す事を誓う。

→悪者の心を持つようになった。

よってピーターが築き上げたネバーランドを壊す事も目的とする。

※斬り落とした腕をピーターはワニに与え、

その味を知ってしまったワニはフック船長の全ての肉体を食いつくそうとしている。

以降フック船長はワニとワニのお腹の中にある時計のカチカチ音

(クロコダイルとクロックダイルをかけてる言葉遊びかな?)がトラウマに。

 

ネバーランド

大人がいなく永遠に子供(心)でいられる場所

物語を話すことで子供心を保たせている

ピーターはこの国の父であることからネバーランドを築いた第一人者

(子供しか住んでいないので父は王様的立ち位置)

※もしくは、実際の親が物語を読み聞かせる様をかけているのかも

 

〖窓〗

現実世界の入口の象徴

親は出ていったウェンディー達がいつでも帰ってこれるように

窓は常に開けられていた。

途中ピーターが締めたのはウェンディーを帰らせず、

ずっとネバーランドへ居させるため。

 

〖感想とメッセージ〗

子供は物語が大好きである。

この作品は沢山のワクワクと、夢を見せてくれて、

見ているこっちも子供に戻るような作品だなと感じた。

本当に汚い心が洗われるような作品でした。

例えば、飛ぶために楽しい事を考えさせたり、

物語が話せるか尋ねたりなど子供心を思い出させる描写。

冒険・愛・仲間・それぞれの物語が相まって、

本当にファンタジーに溢れている。(そして圧倒的映像美)

ピーターパンを通しておとぎ話を知るきっけになるのも、

ネバーランドとかかっていて本当にお洒落だし、良く出来てる。

 

フック船長は孤独のまま年を取ってしまい、楽しい事を考えられなくなってしまった。

そのままでいると人間はいつか堕ちてしまうという教訓も描かれている。

反して、ウェンディーと出逢って愛と悲しみを知ったピーター。

これによりピーター自身も成長し、ネバーランドを築く本当の意味を見つける。

子供は大きくなるからいつでも子供心を取り戻せるネバーランドという場所を

大切にすることで語り継がれる物語がある。

 

大定番ラストのキスで奇跡が起きるのも(やはり物語の最後はキスでなきゃね☆)

愛以上に強いものはないと改めて思う。

 

人間どんな時も、くじけて悲しんでしまうこともあります。

大人になりたくないとつくづく思います。

これは永遠のテーマですよね、ほんと。

だからこそ生きるってものすごい冒険です。

その上で、信じる気持ち・愛を持ち続けることで、

どんな事があってもまたハピネスな心を取り戻す。

そして人は癒されてまた明日を生きようとする。

 

いつでも子供心に戻れる物語・場所があるのは素晴らしいこと。

大人になるのは時に残酷で優しくない世界。

だからこそピーターは心の拠り所になれるネバーランドを造り上げた。

ある意味色んな世界を知っているのかもしれません。

ワクワクした楽しい気持ち、怒ったり悲しい気持ち。

どちらも自分の心です。大切に向き合って、受け止め、

子供心と大人心 うまく付き合ってこの人生を謳歌していきたい。

 

 

ブラック企業

私は犬ではない。

命令で仕事を指図するな。

顎で指図するような態度で人を動かすな。

たとえ新人だとしても

若いのと年上とでそんな態度が変わるのか?

差別か、このやろう。

なめている。

なめすぎている。

馬鹿にしているんだ。どうせ。

心のどこかでどうせ馬鹿にしているんだ。

下だからって馬鹿にするんじゃないぞ。

 

専門学生はプライドが高いだぁ?!?!?!

専門学生だけじゃなく、みんなプライド高いに決まってんだろ。

相手のことをよく見れてない証じゃねぇかよ。

ふざけんな。

"この人が悪かった″ みたいな言い方やめろ。

社会人だからって見放して 動きを図るな。

社会人だからこそ孤独になるからこそ、

それを防がないといけない。

社会の組織として。

自分も 皆も。

何でもかんでも どうせ自分のことが可愛いんだな。

おかしいにきまってる。

そんなのおかしいに決まってる。

こんな社会 狂ってる。

虚無感

幸せなのかもしれないのだけれど

 

幸せになりたい思いがあるのだから

 

はたして本当に今 誇りをもって 笑って

 

「わたしは いま 幸せだぞ」

 

って叫ぶことができるのか?と聞かれたら

 

できない と答えるだろうか。

 

実際 今の現状に納得も何もしていない。

 

納得すらできない、納得するほどのことをしていないのだ。

 

だから、これはきっと生きていないに等しいんだと

 

そう思う。

 

泣くことも 笑うことも 怒ることだってできるのに

 

それはきっと幸せなのに

 

生きてないような この虚無感。

 

虚無感がどこか拭えない。

 

何をしたいわけでもないから 何もしない。

 

だから余計についてくる。

 

無。

 

まさに無なのだ。

 

私はきっと何も無いのだ。

 

何にでもなれないのだ。

 

自分が自分を必要とすらしないので

 

そんな人間のことなんか余計必要と思う人もいるわけないわけで

 

死にたい。

 

いや、正確には死にたいのではなく

 

私 という存在が 元から無くしてほしい。

 

何ものにも捕らわれず生きてゆけるのだと

 

思うから。




綺麗なものが見たい。

 

心が洗われて 無意識に目に焼き付けてしまうような

 

綺麗なものが見たい。

 

それがきっと 幸せ。

 

至高。

 

卒業

先輩との出逢いは バイト先

先輩とそのまた先輩が 私に話しかけてくれました

きっかけは 私のジャージ見て

同じ高校だと 気づいて声をかけてくれました

綺麗に私が高校1年で先輩は2年 そのまた先輩は3年でした

1学年ずつ違うのと 私のクラスの友人を知っているのが相まって

時たま話しかけてくれる関係になりました

私はその一つ上の2年生の 先輩へ恋に落ちました

やんちゃそうな見た目とは裏腹に 

気さくで優しい笑顔に惹かれました

背は小さいのに そうとは感じさせない男らしさなところも 

素敵だな と思いました

でもあいにく先輩には 他校の同い年の学級委員長と恋仲でありました

悲しいな とは思ったけれど 

逆にそれで良かったな と思いました

先輩は先輩の存在のままで 私の中でいてほしいと思いました

時たま学校で見かける 先輩が

儚く 貴重な存在に思えました

先輩の存在を学校で感じることで それだけで私の日常が

かけがえのない時間となりました

私にも こういう風に思える相手がいる事が

とても特別に思えたのです

 

でもその気持ちも 今日でお別れ

今日は珍しく 地味な私だけれど

先輩を送り出したい 一心で

アーチ係の役目に手を挙げて 自ら行動を起こせました

 

卒業式 終盤 先輩方退場の瞬間

花の飾られたアーチを持って

担当の後輩が ぞろぞろと 

アーチロードで先輩方を 送り出します

二列で並べられた先輩方の中に

私の目の前を 先輩が通り過ぎる瞬間 

ふと 先輩と 目が合いました

私は 静かに 微笑んで

最後のお別れを 果たしました

 

先輩の後ろ姿はどこか寂しげで

ひとりで なにかを抱えてるみたい

小さな身長とは裏腹に 大きなものを背負ってた

これで正解だったって

自分の中で片づけてるけど 未だに忘れられないのは なぜでしょう

先輩へ 大好きでした

怨念

「これで、よし。」

灯りの灯らない部屋で外の雨音をBGMに神経を研ぎ澄ます。

6月。

荷物もなにもない無機質な部屋。

カーテンがついてないむき出しの窓。

ここは9階、カーテンなんか無くとも好き好んで見れる場所ではない。

辺りはがらんどう。

角部屋、隣人なし。

ロープでぐるぐる巻きにされ、椅子と一体化されている者。

口にはスカーフを噛まし声を出しづらくしてあるし、

頭から目にかけて黒いバンダナを巻き付け視界は多少遮ってある。

 

街頭の灯りを頼りに、私の横に並べられた数々の道具の中から、

一つを選び手に持つ。

この道具を持ちながら、

目の前の椅子で無防備に意識を飛ばしてる相手の元へ歩み寄る。

 

 

人間という者は実に厄介で、常に一時の感情で未来が変わるものだ。

その一時の感情が心の中に常に宿れば執着。

愛が蔓延すれば幸福。

憎悪が蔓延すれば怨念。

つくづく嫌になる。

人間の性、日本国民特有の性格に。

 

私は比較的すぐにマイナス思考になるタイプだ。

綺麗ごとは聞くだけで反吐が出る。

思考を変えようにも身について癖と化している脳みそには難しい。

感銘を受けたところで私の人生は変わらない。

恋をすれば女は、グロスでベタベタ、まるで売婦。

男は、整髪料でベタベタ、まるで乞食。

香水は嗅ぐだけで反吐が出る。

 いつだってセックス後みたいなベタベタ感がまとわりつく。

人間は気持ち悪い生き物だ。

 

今日もあちらこちらで怒鳴り、怒り顔、喧嘩を売る目。

平和ボケで自分が強いと思ってる。

隠しきれない本性が誰にだってある。

 

憎しみ。

どんなに憎んでも、人を殺せば私の負けだ。

でもここで被害者は黙って、法律に気づかれなければそいつは裁かれなくて。

そいつは過去、踏みにじった奴を忘れてのうのうと生きていく。

普通の人間として、当たり前を生きる。

自責の念すらなく、笑って笑って笑って。

私は嫌な記憶を蘇ることしかできなくて、蝕まれる。

そのまま年月が経ち、そいつが自分の過ちを思い出す事無く死ぬのが恐ろしかった。

それと同時に許せなかった。

いつしか私は怨念を抱え生きた。

 

小学校2年生、登下校。

「おい、無口女!!!!!!」

そいつが叫んだ。

私の事だとすぐに分かった。

反応すればまるで私がその呼び名を認めたようで振り向くことはできなかった。

今日の道徳の授業で、このお話を通して皆さんの感想を発表しよう

という綺麗事お披露目大会で私は恥ずかしくて何も発言できず。

皆もじもじしつつも答えていく中で、私はどうしても話せなったのだ。

一人だけ話せずクラスで浮いた存在となった途端、

さぞかしいい獲物を見つけたと言わんばかりにやんちゃな男軍団に目をつけられた。

それからというもの、授業中で返事だけでもすれば、

「あ、声あるんだ~」や「しゃべった!!!!」等冷やかされ。

そいつが給食当番では、カレーのルーをよそうフリをして服にかけられ。

ドッジボール大会では、私に対しては強いボールを投げつけ。

背の順でそいつが後ろにくれば、

体育の授業で前ならえの毎に手先を背中にわざとど突くようにされた。

他にもあるがもう思い出すのは阿保らしい。

高学年になると薄々感づいていたであろう教師は見て見ぬフリをした。

これが運悪く、高校になってもなお続いた。

さすがに高校の頃にはもう無いだろうと思ったが、

ただ一人固執するように絡んでくるそいつにもはや呆れさえした。

高校にあがれば堂々とされる事はなかったが、

地味に精神的に傷つけらるような嫌がらせになった。

 友達はいたが、自分が可哀そうアピールしている痛い子みたいで

相談するのはやめた。

幸い私の中で"死のう"という考えが無かった。

 

私はこいつを殺そうと思っていたからだ。

 

高校卒業後、私はすぐに就職し1年間貯金した。

貯金してある程度貯まった時に、このマンションを借りた。

人の原動力は凄いと思う。

得に怒りは。

人生棒に振っていいとさえ思う。

私はこれをするために産まれてきたんだとさえ思えた。

この人を殺せば私は自由になれるという絶対的過信も凄い。

でもこうしない限り、私はもう気が済まなくなっていた。

こいつが生きてるかも死んでるかも分からない状況で、

もしもこいつが平々凡々と全うな人間なフリをして生きているかもしれないという

この世界を嫌いで仕方がなかった。

同じ地球上に存在しているのが許せなかった。

私がただ被害者で終わるのが憎かった。

思い出すだけでこうなる自分が嫌いで仕方がなかったのだ。

苦しい。

 

すぐに殺すことなんて絶対にしない。

ぽっくり苦しみを知らずに逝かれるのは癪だから。

全ての血が絞り出されるまで。

鼓動がすべて潰れるまで。

皮膚が骨と同じくらい薄くなるまで。

嬲って、嬲って、嬲り殺してあげる。

呻き声はまるで鳥の鳴き声。

血の噴き出る音はまるで川のせせらぎ。

肉が削られる音はまるでクラシック。

 

嗚呼、人間は何て哀れで尊いのだろうか。

感情があるせいだからだろうか。

知能のせいだろうか。

 

さよならさんかく、またきてしかく。

考察『映画ドラえもん のび太の夢幻三剣士』

わたくし生粋のドラえもん大好きニートでございまして、
高校の頃ドラえもんにハマり、藤子先生の作品の深みにハマってますが、
何分浅い経歴なので特別詳しくはありません。
単純に一個人の解釈・想いをつらづらと独り言。
 
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ドラえもん映画史上謎を残した作品と言われる
『映画ドラえもん のび太の夢幻三剣士』 これ大好き。。。
こちらはどちらかというと大人向けな作品かと。
観終わった後、誰しもが検索しますし、多くの方がやはり考察してんすよね。。。
なので意見は被るかもですが、一個人で考察しております。
 
軽くあらすじ
〖現実逃避したくなったのび太が富と栄誉を簡単に得られる夢に逃げる話。〗
です。
キーポイントひみつ道具
【気ままに夢見る機】
ひみつ道具の気ままに夢見る機にあるカセットを通してユメミル国へ導く。
=現実逃避する入口。入ったら二度と戻れない可能性大。
 
~考察~
二つを中心に語ります。要点しか書いてないです。
 
・ユメミル国とラスシーン
そもそも論:ユメミル国は”夢”ではなく”現実”で実在してた説。
ここでドラえもんが注意書きを読んでいたシーンに注目。
「この夢は強いパワーを持っているので、現実世界に影響することもあります。」
この注意書きは夢と現実を区別させることで、
ユメミル国は夢での出来事としてのび太達を錯覚。
たとえ現実に影響が出たとしても違和感を感じさせないための伏線でもある。
 
ラストのび太達が妖霊軍を倒し見事に勝利したことで!
のび太達の住む星の未来が変わり、学校の位置が変化=現実世界で影響が起きた。
=この物語は全て現実に起こっていたこと(現実世界の別次元or星にて)
というのを物語っている。
         +
またラストでの学校の位置
元々妖霊軍の城が位置していた所でもあるため妖霊軍を支配したことの表れ
 
・トリホーという存在
①まず序盤にユメミル国は元々別の剣士が妖霊軍を倒し破滅する運命。(予言)
ならば別世界の弱い人間を剣士にさせれば、妖霊軍は勝利し支配ができると
考えたトリホーは、別世界でこの条件にぴったりな"のび太"に目をつける。
②トリホーが何度ものび太達のいる世界に行き来できていたのも実在説だと腑に落ちる気が。。。
③そもそもトリホーの目的
トリホー自身は自分が支配できる世界を手にしたかったのではないか?
野心家や誰しもが少しは抱く心の闇的な部分ではあります。
しかし妖霊軍はやられてしまった為、その”夢”は見事に破られます。
でも惡な象徴であるトリホーはこれだけでは凝りません。
ラストで気ままに夢見る機を取りに未来デパートのスタッフとして
現れたのがトリホーであることが示唆しています。
→ユメミル国での生活を捨て、
 また別の次元でトリホーは生き・また企むだろうと思わざるを得ない。。。
 
《メッセージ》
~この作品自体のメッセージ、個人的にくみ取った解釈を交えて。~
人間辛いこと、嫌なことばかり起こる現実に目を背きたい時あるかと思います。
トリホー:野望を抱き、幻想にひどく執着し、夢のような世界でしか生きれない。
のび太:現実が辛く、夢の中で楽に生きようとするも、打ち勝ち現実をしっかり受け止め前進。
この二人のキャラクターはまさに心の”光と闇”
夢ばかりを周りに押し付け、夢を見る事で逃避するのは、
結局自分自身含め誰も幸せにはなれません。
劇中ではのび太はしっかり自分の役割を見出し、
現実を受け止めることでたくましくなっています。
葛藤しながらも成長し、高みを目指すことで人間性というのは
磨かれるのではないでしょうか。
トリホーの「何もかも忘れ、夢の中を楽しみなされ。」
この甘い言葉に誘われないよう、くれぐれも自分を見失わないで下さい。
 
私個人の解釈は夢=現実逃避で捉えましたが、
この作品は本当に観る人にとって様々な考え・視点が変わる作品かと思います。
後味の悪い感じも人生甘くないよと言われてるようで隅々まで
本当に面白い作品だなと感じました。
考察は以上です。
見つけて読んでくれた方、崇拝致します。
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映画ドラえもん個人的に春公開のイメージが強いから少々ソワソワしますが。
今年延期されるも無事公開予定の『映画ドラえもん のび太の新恐竜』
この作品は沢山の期待・想い、そして何よりロマンを感じざるを得ない作品になっていることだろう。
初心・童心に戻るようなあのワクワクする感覚が、
藤子先生にとっては冒険であり、恐竜はその冒険を盛り上げる
さぞかしもってこいのテーマであったんだろうなぁと思うし、
観ていてやはりこちらも釣られてワクワクしてしまう。
今回はオリジナル作品、そして個人的にも大好きな『のび太の宝島』の作品を手掛けた
素晴らしきコンビ(ひどく崇拝しておりますご了承)なのだから、
ますますワクワクが止まらない。
また映像美・カメラカット・キャラクターの豊かな表情がますます強化されている
”映画ドラえもん”これからも沢山ワクワクさせてくれますね。
ドラえもんイヤーな2020、こんなご時世でも笑顔で盛り上げていきたい所存です。
 
それでは皆に幸あれ。
本日もお疲れ様でした。
※只今アマゾンプライムで過去作39作品鑑賞可能
神保町シアターで39作品日替わりで期間限定毎日上映開始(再上映するとか神...)